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長崎原爆の日:記憶、風化させまい…古里を心に焼き付け 毎日新聞 2015年08月09日 23時05分

 

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 9日に70回目の「原爆の日」を迎えた長崎では、多くの慰霊行事が行われた。全国から被爆者や遺族らが訪れ、原爆犠牲者の冥福を祈り、70年の歳月に思いをはせた。平均年齢が80歳を超えた被爆者は「記憶を風化させまい」と継承への思いを強め、若者たちは、二度と過ちを繰り返さず平和のバトンを受け継ごうと決意を新たにした。

 爆心地近くの平和公園で開かれた平和祈念式典には、栃木県の遺族代表として、県原爆被害者協議会(県被団協)会長の中村明さん(84)=宇都宮市=が参列した。原爆で両親と姉を失い、自身も右足に後遺症が残る。6年前に両目の視力をほとんど失い、「長崎に来るのはこれが最後」と覚悟を決めて式典に臨んだ。

 爆心地から1.2キロの長崎市茂里町の三菱製鋼長崎製鋼所の工場で被爆した。当時14歳で、工業学校の生徒だった。爆風で吹き飛ばされて30トンクレーンの下敷きになり、右大腿(だいたい)骨を折った。自宅周辺にいた父はその晩に全身やけどで死亡。母も体中に斑点が出て苦しみ、1カ月後に亡くなった。兵器工場にいた姉は遺体すら見つからなかった。

 戦後は、孤児になったことや、骨折の影響で右足が5センチ短くなったことなどを周囲にからかわれた。「自分が悪いわけではないのに」。悔しくて仕方なかった。戦後も三菱製鋼に勤めたが、新たな工場開業のため1963年から宇都宮市に移住。栃木県被団協に入会し、核廃絶運動や語り部活動に力を注いだ。2009年に原因不明の眼底出血を起こして両目の視力が弱まったが、高齢化で県被団協のメンバーが少なくなり、他になり手がいなかったため会長を引き受けた。眼底出血は原爆症認定を申請したが、却下された。

 式典後、中村さんは「亡くなった家族の面影が浮かんだ。長崎と栃木は遠いけど、魂はまたどこかで会えると信じている」と話した。原爆によって焼け野原となった街は今、復興を遂げて緑豊かになった。弱まった視力で、最後となるだろう古里の風景を心に焼け付けた。【大平明日香】

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